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HiroShige(Nomad) の歴史

 HiroShige(ヒロシゲ/広重)は、キーボードおよびプログラミング担当の毛利裕昭(ヒロ)とギターおよびプログミング担当の牧野滋(シゲ)によるメタリック・プログレッシブ・フュージョン・ロックバンドである。

 このバンドはもともとNomadと名乗っていたバンドと同じある。しかし、HPをたちあげるにあたりこの名前を使っている音楽団体が非常に多いことが、現時点でわかっているのでこのような併記をおこなっている。

 バンドの結成は1993年の12月である。結成のきっかけは、吉祥寺シルバーエレファントで現在のメンバー2名が属していたバンドの対バンである。結成より2年程度前であったと思われるが、ヒロは日本のトラッドプログレの流れをもつバンドであったクロイツェルに属しており(このバンドは時に別名も使用)、シゲはマグマ系の音楽で注目を浴びたハッピーファミリーに所属していた。(ハッピーファミリーでのシゲのプレイは、 Cuneiform からリリースされている1stCDと2枚組コンピCDで聞くことできる。)共演後、クロイツェルのギターが脱退したということがあり、シゲのギターにピンときていたヒロがシゲに電話で連絡してヘルプを求めたのが一番大きなきっかけだった。何度かシゲはクロイツェルのライブでギターを弾くことになる。

 しばらくして、クロイツェルはトラッドやハードロックを好む結成メンバーと後から加入したタダシとヒロというフュージョン、シンフォプログレを好むメンバーの見解の相違が明確になってきた。勿論、ヒロはこのバンドではメインライターではなかった。

<第一期>
 ケンソーが「夢の丘」という驚異的な作品を発表し、それに衝撃をうけたヒロは新しいバンド構想を考え、シゲとタダシに話しを持ちかけ曲を聞かせ始めた。結成時、4人目のドラムは、雑誌「ジャズライフ」のメンバー募集で集められた。このオーディションは、プロ、セミプロ入り乱れての応募があり、アメリカの某音楽学校のマスターコースを終え、プロとしてハコ、タビの仕事をしていたセンタに決定した。ここでこのバンドは動きはじめる。ただ、センタは条件を加入においてつけており「バンドはあくまでも変拍子の修行のために加入するのであって、プログレが好きなわけではないので変拍子の修行が終わったら脱退する」という旨の条件であった。

 もともとこのバンドは4人が対等で、特にリーダは存在していなかった。メンバーが2人になった今も勿論それは変わっていない。初期には、タダシも脱退するまで、ワールドミュージックを素材にした作品や「ハイパー・サイクル」というハードプログレなナンバーを提供していた。ヒロは、シンフォニック・ロックとフュージョン・プログレに影響された曲をどこぞのバンドの影響で古代文明シリーズとしてシリーズ化して曲を書いており、シゲは彼独自のテクニカルな超絶技巧を(スティーブ・ヴァイやジョン・ぺトルーシに影響された)披露する一番ロックよりの曲を書いていた。(ただ、その曲名はクラシックの作曲家R.ワーグナーに由来しているところが彼らしい)、アレンジは曲を書いて来たものが概略を作っていることが殆どであったが、全員でアレンジした結果全く違ったものになってしまったというものもある。

 オリジナルだけではなく、ジャズ、フュージョンから有名ミュージシャンの作品を取り上げたりしたものもある。結成一年程度でシルバー・エレファントでワンマンをすることになるが、シゲがマイク・スターンのアルバム「Standards」を聞いてきて「Like Someone in Love」を演奏したこともある。一番ライブでよく演奏された他人の曲はヒロが提案したイエロージャケッツの「WildLife」である。これは、6拍子と13拍子のシーケンスが絡むフュージョン界ではかなり異色の作品であった。また、シゲがマイルスのライブアルバムの某曲を「リズムがカッコイイ」といって、メンバーに聞かせたものはヒロがコードを付け直し、タダシとセンタがリズムアレンジを変え全くオリジナルの「ターミネイター」という曲になった。

<第二期>
 結成後しばらくして(3年程度か?)、タダシが個人的な事情から活動を続けるのが厳しい状態に陥った。他のメンバーは、すでにある数々の複雑な曲をこなすベースを探すのは時間がかかると考えた。ヒロとシゲは、全てのベースパートを2人でプログラミングした。ライブでは、シンセの音源からキーボードと別に、コードをとりベースアンプで再生し、3人のメンバーはそのシーケンサーにあわせて演奏するという暴挙にでた。意外とこの構成による演奏は、いままでと別の意味で好評を博した。ヒロがこわごわと、当時のシルバーエレファントの店長栗田さんや高円寺ペンギンハウスのブッキング担当の斉藤さんに感想を訊くと「3人のみの演奏せいか、鬼火だった印象受けた」とのことであった。この編成で数回ライブを行っている。センタは、リズムのキーがベースのシーケンスになったことにより暴れまくれるこの編成が好きだったようだ。しかし、センタも本業でのタビでの演奏でブランクがでがちになったため、ヒロとシゲは2人だけの別のデュオ演奏でライブをバンドと別にやることを計画しヒロの家に一晩中閉じこもったりして、シゲが好きな中世古楽のアレンジおよびそれにインスピレーションを得た曲を準備していた。(ヒロやシゲの家の奥深くにMDかシーケンスのディスクがあるはずだ。)

<第三期>
 しかし、そうこうしているうちにセンタもスケジュール調整がつくようになるとともに、べースとしてシゲの中学時代の後輩であるワカが参加することになった。ワカは、某有名JPOPバンド属していたこともあり、スタジオなどの仕事をしていた。ワカは、マルチプレイヤーであり、ヴォーカルをとることまでできた。ワカは、バンドの曲を大変気に入ってくれていたとともに、新しい変化をもたらそうとした。彼が書いてきたボーカルナンバーを演奏したことはこの時代に特徴的であった。彼はポップ性もプログレ性も持ち合わせていた。ハードロックからジャズバンドのアレンジまですることができた。彼が加入して数年たったころであろうか、センタから「変拍子は、このバンドで一通りマスターしたと思う。最初に約束したように脱退したい」と他のメンバーに告げられた。センタ自身の本業の音楽とは離れていることは理解していたのでこれはすぐに受理された。

<第四期>
 次のメンバー探しをするのには時間がかからなかったように思う。まず、ワカが「友人のベースを連れてくるから、ドラムにスイッチする」と言うのである。マルチプレイヤーならではの技だった。彼の友人は、ヴィジョアル系のバンドにいたヒロシだった。彼はメジャーレコード会社のバンドにいてルックスも勿論それなりという人物で腕も確かだった。プログレのバンドの経験は初めてだったが、プロフェッショナルな奴なのですぐ曲を弾けてしまった。1999年の初頭までこのメンバーでライブを行った。突然の状況が発生し、ワカとヒロシが事実上の脱退となった。

<第五期〜現在>
 上記の歴史をみると、ヒロとシゲという上物が固定メンバーであり、リズム隊になんらかの変化があり入れ替わり続けているという状態が続いていることを2人は認識した。ヒロもシゲも転職したりしていろんな変化があったが、2人は連絡は常にキープしてバンドをどうするか話をしていた。そこで、固定的なリズム隊はもたずにやっていこうと考えた。現在、幾度となく出ては頓挫してきた、1アルバム分をレコーディングをきちんとしようと計画している。リズム隊は、ベースは打ち込み、ドラムは打ち込みもしくは、ヘルプで楽譜やデモを聞いてすぐ叩ける人にやってもらうことを考えている。HPを立ち上げたのは、しばらく外へ向けての活動を停止していたことに対して「やります」という意思表示である。